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日本で最初のホスティング
法人向けレンタルサーバー
比較とおすすめのポイント

















1995

1995

米国国防総省の高等研究計画局でインターネットの基礎的な技術が生まれ、インターネットが民間に移管されて商用化されたのが1995年。
この年を境に、商用ウェブサイトが爆発的に増えていきました。「日本のインターネット元年」とも呼ばれ、独自ドメイン名での商用サーバをレンタルする「ホスティング元年」でもあるこの年、弊社ではいち早くサービス開始いたしました。
弊社が日本で最初のホスティングサービス会社となるエピソードなど、読み物風に詳しくご紹介します。

古き良き草創期

古き良き草創期

弊社でのホスティングサービス開始当時は、「.com」ドメインなど、ドメイン登録料もかからない古き良き時代でした。
現在では信じられないことですが、当時を知っていたり、無料でのドメイン登録を体験している人は、同じ時代を生きていても知らない人の方がはるかに多いことからも、とてもめずらしいといえます。
「.com」の読み方も現在のように「ドットコム」ではなく、90年代半ばでは、定まっていませんでした。弊社では、しばらく英語ネイティブの「ダッカム」そのままで読んでいましたが、日本国内では「.com」を「テン(点)コム」「ポチ(点のこと)コム」や「.co.jp」を「テンコテンジェーピー」と言う人までもいました。

陰ながら

陰ながら

1995年当時、ab.com など2文字のドットコムドメインを、実際にアルファベット2文字の組み合わせを一つひとつwhois検索を行って弊社で確認しましたが、20数個が未登録で空いていました。
日本語としては、地名.comやkeio.com、waseda.comなど、有名組織のドメインもほとんど未登録でした。
当時、電話帳の目次を開いて、業界や業務で思いついたネーミングでドメインを片っ端から登録したものでした。
とはいうものの、現在は一般的となったドメイン売買は、当時タブーの風潮があり、ホスティング業者としてドメインの売買をしてはいけないというポリシーがあり、登録したドメインによるウェブサイト運営を将来も考えてはいなかったことから、ほとんどのドメインを登録後1、2年のうちに解放しました。
現在は多くの皆様にご活用いただいていることを、陰ながら嬉しく思っております。

1987

1987

時はさかのぼり、1987年。
新卒の弊社代表近藤が、等松青木監査法人(現 監査法人トーマツ)の入所を決めた際、等松・トゥシュロスコンサルティング株式会社代表取締役から、ある資料を手渡されました。それはテレコミュニケーションのビジネスへの応用に関する英文の内部資料でした。
1987年当時はインターネットという呼び方はあまり使われておらず、主に学術関係や軍事関係でテレコミュニケーションと呼んで技術の開発と応用が進められていました。
近藤は監査法人入所後、米国軍事衛星技術者で元軍人でもあったコンサルタントの下で、マーケティングリサーチの仕事など関わることにもなりました。当時既にアメリカの軍事衛星の映像音声技術が想像を超える性能を持っていることを、近藤が個人的に聞くことにもなりましたが、テレコミュニケーションを軍事から民間へ応用する方法を具体的に模索していた時代でした。

1984

1984

さらにさかのぼること3年、弊社代表近藤が慶應義塾大学理工学部在学中であった1984年。
理工学部で当時斉藤信男教授の研究室(斉藤研究室)所属で一期生でもあった村井純氏が、慶應義塾大学理工学部と東京工業大学及び東京大学をネットワークで結びました。1984年は、日本におけるインターネット基礎技術元年といえます。
後日、東京大学と結ぶための名目として岩波書店を介したことなどのエピソードのほか、村井氏のその後の活躍を慶應工学会が資金的に支えていたことなど、慶應工学会の会合に出席した近藤が村井純氏から生の声で聞くこともありました。
近藤の監査法人退社後、斉藤研究室に所属していた同期3人と監査法人時代の同期1人が役員や株主となり、弊社など会社を設立して事業を興しました。

XXの会

XXの会

弊社での1995年のホスティング事業開始当時、のちにJPNIC理事となられた坪俊宏氏が命名した「ウェブホストサービス」という名称でサービスを行っておりました。
ホスティング事業を始めることになったのは、弊社代表近藤が「XXの会」という会に所属していたことがきっかけでした。XXの会は、友人知人など仲間内の集まりの飲み会という感じでした。
XXの会の主催者は、現在経済評論家で活躍されている吉崎達彦氏で、そのほか三浦展氏や、その後それぞれの分野やメディアで活躍したり著書を持つことになる人たちが集まり、講談社ほか多くの編集者も参加していました。皆でお酒を飲みながら、この前エリツィンに会ったよとか、イスラエルのラビン首相は会ったときすごくいい人だったのに暗殺されちゃった…、など、当時経済同友会代表幹事で、後の日銀総裁にもなる速水優氏の当時秘書であった吉崎氏を囲んで四方山話をしていました。

日本最初で残り

日本最初で残り

XXの会のメンバーの中に、坪俊宏氏がおられ、当時の文部省の入札など弊社代表近藤がサポートする中、坪氏に誘われるままに弊社も加わってホスティング事業を始めることになりました。
弊社と同じ日本で最初のホスティング会社であった坪氏のグローバルコモンズ株式会社は、残念ながら現在ホスティングサービスは行っておられません。同様に、数は少なくとも1995年にホスティングサービスを開始した会社のほとんどがホスティング事業継続をあきらめていき、今では弊社が残りました。

最初のスタイル

最初のスタイル

ホスティングサービスの営業を開始して、最初のお客様との契約が1995年でした。弊社の通帳の印字が、最初のホスティング契約の始まりを今でも物語っています。
インターネットが民間に移管されて商用化された1995年以前の創業であるとかサーバを立ち上げたことがあることをもってホスティングの老舗を標榜する業者もいるようではありますが、当時で言えばレンタルサーバ、現在で主に言うホスティングは、その成り立ちから独自ドメイン名と切り離せないこともあり、1995年以前にホスティングサービスを開始していたと標榜するのは自ずと矛盾することにはなります。
1995年当時は、接続を中心としたアクセスプロバイダ全盛の時代で、インターネットの回線料も非常に高く、アクセスするユーザー自体が少ないのに、その高い回線を独占させてサーバを立ち上げてホスティングサービスを行う業者はほとんどありませんでした。日本国内では、ホスティングサービス専用の商用サーバは実質的に無いに等しい時代でしたので、海外でも数えられるぐらいの少ないホスティングサーバ業者と再販契約を行い、日本国内でサーバを提供するスタイルがしばらく主流となっていました。

気がつけば

気がつけば

弊社では、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴのホスティング業者やドメイン登録会社と取引を行い、1995年以降サービスを展開していました。
その後、技術的に独自の路線を歩み始めた弊社は、オリジナルのサーバシステムも開発して、現在のプレミアホスティングへと発展してきました。
当時は、弊社以外には日本国内の外資系企業向けにサービスを提供する業者がなかったこともあり、国内の多くの大手外資系企業に対して、弊社がJPドメインの登録からサーバの運用などサービスを提供させていただくことにもなりました。
長らくホスティングをご利用になられているユーザーのほか、中堅以上か古いホスティング業者でしたら、弊社のホスティングサービスを知らないところはない、とまで言っていただけるようにもなり、気がつけば誰からとなく「ホスティングの老舗」と呼ばれるようになりました。

Power to the People

Power to the People

ホスティングサービスを開始して間もない頃、弊社サイトで前面に掲げていた懐かしい画像を次に再掲します。

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インターネットは一部の大手のものではなく、広く皆でわかちあうものです。当時からいち早く「インターネットは個々人が持ち得る小さな放送局のようなものである」として、一部の権力者が牛耳る世界から、多くの人々が力を持つことになる、これを予言するように、この画像を掲げ、ホスティングサービスを展開しました。
今では、IT評論家が「インターネットを一言で言うと何か」ということで、この画像のフレーズを紹介してくれるようにもなりました。
ホスティングサービス開始間もない頃から今でもサーバをご利用いただいているパワーユーザーの皆さん、かなり昔から弊社サイトでこの画像をご覧になっていた方々など、改めてご覧になると非常に懐かしく感じていただけると思います。

コンセルジュからコノシュアへ

コンセルジュからコノシュアへ

弊社は、監査法人系コンサルティング会社から独立したコンサルタントの近藤が代表者として設立したInternational Consluting Associates, Inc.を母体としています。
現在のGENERAL INTERNET, Inc.へ社名変更いたしましたが、現在も完全なる独立系でどの企業や企業グループに対して中立であり、完全独立企業の強みを最大限発揮しながら、コンサルティングの厳しい目を持って、大手IT企業でも難しいハイエンドなホスティングに取り組み続けています。
完全独立企業の強みを生かして、他社IT企業の長所短所を見極めて、弊社のほか複数のIT企業のデータセンターやサーバも組み合わせて、サービスを構築しています。
ワンストップで何でもやります、といったコンセルジュ的なITサービスではなく、本質と将来性を見抜くコンサルタントの厳しい目利きによるコノシュア的なサービスとして構築し、厳しいパワーユーザーが納得するハイエンドなサービスを先駆的に追求し続けています。
日本で最初のホスティング会社で老舗として名をはせることにもなりましたが、「先駆が故に老舗となり、先駆が故に常に新しい。」Always Better. の源泉はここにあるのです。

究極のホスティング

究極のホスティング

弊社では、規模や収益を追うこともなくコツコツと地道に、日進月歩で発展していくインターネット技術を楽しみながら事業を営んでいます。
また、IT業界という比較的新しい産業界の中でも老舗と呼ばれ、日本で最初のホスティングサービス会社として、コンサルティング会社として、多くの業者の栄枯盛衰も見てきました。
弊社は「老舗の目利き」として、納得のいく最高レベルのサービスを「厳選」し、さらに独自の技術開発を加え、究極のホスティングの提供を常に追求しています。
弊社は、通信キャリアや多くのIT企業に対して完全に独立していることから、ほとんどのユーザーの皆様と同様、弊社もユーザーの一社である「いちユーザー」 と考えています。
コンサルタントという極めて厳しい目利きによる会社でもあり、パワーユーザーの皆さんを代表させていただいている「とてつもなく厳しいユーザー」となっているのです。
常に最も厳しいユーザーであろうと心がけ、NTT系やKDDI系など巨大企業相手といえども、おもねることなく、至らない点はきちっと指摘して改善を求めることも積極的に行っています。取引先だけでなく自らも含めたお互いの向上を目指しています。
完全独立企業ができる、言うべくはきちっと言う毅然とした態度で、優良IT企業から最高のサービスを受け、独自にサーバシステムを構築することで、法人やパワーユーザーの皆さんが納得する究極のホスティングをご提供しています。

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 先駆がゆえに老舗と成り、
 先駆がゆえに常に新しい。

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